2023/06/24 Sat
FUSEKIDO Ohyama wrote
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前回までのあらすじキッチンカー楓赤堂が営業開始するまでのあらすじ。学生時代に新しいものをつくる楽しさを経験したおおやまは、与えられたことを着実にこなすことが求められる社会人生活に充実感を得られながらも、なにかまた新しいことにチャレンジしたいと思うのであった。
1話目|2話目|3話目
移動販売でハンバーガーを販売する!
何か新しいことにチャレンジしたいという考えが沸々していたころ。ケイタからミヤ、オオヤマ宛に連絡があった。
久しぶりに会いませんか?とのことであった。
ここで楓赤堂のメンバー紹介をしておこう。
ミヤとケイタとオオヤマは大学のカナダ留学プログラムでの縁で知り合った。
ミヤとケイタは同じホームステイ先で、オオヤマだけが異なった。ミヤとケイタはいわゆる富裕層の家庭で伸び伸びとステイしていたのに対して、私は比較的貧しい家庭でステイすることになり、ディナーは小麦粉を薄くのばしたものしか与えられず飢餓状態であった。
そのオオヤマの飢餓状態を、ミヤがステイ先に話のネタとして提供していたところ、それは居心地が悪いだろうということで、留学プログラムの最終1週間は、ミヤとケイタのステイ先でお世話になった。
ケイタからの連絡で、ミヤの住んでいるひたちなか市で会うことになった。
ここでなぜケイタが連絡したのかというと、当時付き合っていた恋人との破局を報告であり、その経緯がなかなか聞きごたえのあるものであった。(詳細をご希望の方はお問い合わせフォームにてご連絡ください)
その他は仕事の話であり、20代の社会人が3人も集えば仕事の愚痴になる。
そこで何か3人で仕事ができたら面白いだろうなという話になった。
当時はキッチンカーのアイディアは毛頭なかった。
どんなビジネスができるのだろうか、考えるものの、無情にも平日はやってきて仕事をしなければならない。
当時私はジャパンミートで買ってきたひき肉を休日にハンバーグ化して、バターロールに挟んでハンバーガー化して平日の弁当として持っていくことにはまっていた。
ハンバーガーは手軽に食べられ、お肉の油分のおかげで腹持ちもよい。
これだけ商品力のあるものであれば、移動販売で売り上げを立たせることができるのではないかと。
ここで少し話が飛躍してしまった。なぜ移動販売であったのかと。
移動販売のハンバーガーを着想する1年前、会社でエステティシャンになる。と土日に東京までいって弟子入りし技を磨いている先輩がいた。
業界でも有名な師匠の元で働いていた彼の話では、今はエステも設備をトラック内に整備して、移動販売で施術するとのことだった。
その話が私にとって頭の片隅にあったのだろう。固定店舗を持たないため初期費用を抑えられ、ニーズがあるところに赴ける移動販売という業態が合理的に思えた。
ハンバーガーを移動販売で販売しよう。確かにハンバーガーは商品として魅力的だ。ただ短絡的に移動販売とハンバーガーを組み合わせただけ生き残れるほど甘い商売でないことは明らかであった。
つづく。