2023/06/04 Sun
FUSEKIDO Ohyama wrote
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日本では「就職」活動とはいうが、実際仕事に就いてみると、「就社」であることがわかる。例えばエンジニアとして、「就職」したとしてもそこで得られる技術や、仕事の進め方というのは、その会社オリジナルものであることが多く、エンジニアとしての「職」で他社を渡り合えるような技術を習得できるかというとそうではない。会社はその長い歴史の中で築き上げてきた、ノウハウを引き継ぎ、改善していく者たちを従業員として雇っている。会社にとっての必勝パターンは従業員によって分析されつくされており、それを従業員に徹底していく。こうすることで、継続的な組織の維持と、発展が見込まれる。 つまり、就社した私は、すでに出来上がったシステムの中に組み込まれて、会社の歯車として次々降りかかる課題を迅速かつ正確に処理することが求められる日々が待ち受けているのであった。
これがおそらく、ベンチャー企業であれば全く異なるのであろう。ベンチャー企業は新たな技術をいかに市場に受け入れてもらえるか、トライアンドエラーを繰り返しながら、生き残りをかけて必勝パターンを築いていく仕事であろう。一方で何十年にもわたって同じビジネスモデルとプロダクトで生き残ってきた巨大企業では前述のように会社のという組織の中で、与えられた役割を正確にこなし会社という巨体を動かす。その役割は替えが効くし、歯車がさび付いていようが会社は動くのである。
巨大企業で働くことを決して批判しているのではない。こうした企業では世界で勝てるプロダクトを作り出すノウハウとそれを伝承するシステムが確立している。そこで働くというのは、グローバルレベルのスキルを身に着けられることを意味する。
しかしながら、学生時代に達成感を味わった0の状態から何かを作り出すチャンスがこの巨大企業で得られるのはいつだろうか。おそらく社長や役員、部長クラスになれば、数多の社員を率いて新たな取り組みができるのかもしれないが、そのランクになれるのかは不透明であるし、そうなったときには私はいくつになっているのだろうか。
高校、大学と与えられたフィールドにおいて、何かしら新しいもの、ことを作ってきた。
社会人になった現在のフィールドは社会全体である。
学生、社会人時代の経験を総動員して、社会全体に対して、利益を生む出すビジネスにチャレンジしたいと考えていた。